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中世、アキテーヌ、文化的先進地域が育む「南」のポリフォニー... [before 2005]

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中世ヨーロッパにおける巡礼熱は半端無い!LCCも、TGVも無い時代、極普通な人たちが、国境などものともせず、点在する聖地を目指した史実。そうした中で、最も巡礼たちを集めたのが、十二使徒、聖ヤコブが眠る、スペインの北西端、ガリシア地方、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。ピレネー山脈を越え、イスラム勢力の支配が残るイベリア半島を進み、ヨーロッパの西の果てを目指すことは、そう容易いことではなかったはず... だったが、あまりに多くの巡礼が行き交ったことで、いつの間にやらインフラは整い、サンティアゴ・デ・コンポステーラを終着点とする、整備された巡礼路が、ヨーロッパ中に伸びて行く。そして、ヨーロッパを東西に結んだ巡礼路は、やがて文化をも運び... 前回、聴いた、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に伝わるカリクスティヌス写本に収録されていた初期の多声音楽も、巡礼たちによってサンティアゴ・デ・コンポステーラにもたらされたと考えられている。で、その初期の多声音楽はどこからやって来たのか?ヨーロッパ各地から巡礼路が集まって来る、フランス南西部、アキテーヌ地方... ということで、初期の多声音楽、"アキテーヌのポリフォニー"に注目!
マルセル・ペレス率いるアンサンブル・オルガヌムの歌で、巡礼路沿いの街、リモージュにあったサン・マルシャル修道院に納められていた写本から、クリスマスの朝課を再現するアルバム、"POLYPHONIE AQUITAINE DU XIIe SIÈCLE"(harmonia mundi FRANCE/HMC 901134)。ノートルダム楽派を準備した、12世紀の"アキテーヌのポリフォニー"を聴く。

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中世、パリ、中央集権化とともに花開いたノートルダム楽派! [2007]

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パリは、田舎だった。と言っても、なかなかリアリティが持てない。けれど、田舎でした。紀元前3世紀、ケルト系、パリシイ族の集落として始まったパリ... その後、ローマの支配下に入り、都市として整備されるも、まだまだ一地方都市。で、首都の地位を獲得するのが、508年。パリはフランク王国の首都となる。しかし、建築大好き、インフラ・マニアのローマ帝国とは異なる、ゲルマン系、フランク王国... ローマのような輝かしい威容を手に入れるなんて夢のまた夢。というより、中世の都市は、どこも似たり寄ったりの田舎町のような風体であった史実。やがて、フランク王国から西フランク王国へ、西フランク王国はフランス王国となるも、状況は変わらず... というより、ヴァイキングの襲撃があり、王権の弱体化もあって、パリは首都でありながらますます湿気た状態に陥って行く。そんな空気感を打破するのが、ノートルダム大聖堂の建設だった!国王、ルイ7世(在位 : 1137-80)の臨席の下、ローマ教皇、アレクサンデル3世(教皇選出時にゴタゴタがあって、パリに一時避難... )によって礎石が置かれたのが1163年。当時、最新のゴシック様式で建設され、まず、内陣が完成すると、1182年、献堂式が行われ、パリ司教座、ノートルダム大聖堂の歴史が動き出す(全てが完成するのは、まだかなり先... )。それは、パリがパリたる表情を見せた最初の瞬間であり、その威容をシンボルに、パリは成長を始める。
という、ゴシック期のパリ、ノートルダム大聖堂が育んだ音楽に注目... アントワーヌ・ゲルバー率いる、フランスの古楽ヴォーカル・アンサンブル、ディアボルス・イン・ムジカが、ノートルダム楽派による1170年から1240年に掛けての音楽、オルガヌムとコンドゥクトゥスを歌うアルバム、"Paris expers Paris"(Alpha/Alpha 102)、パリよ、パリのみぞ素晴しけれ、を聴く。

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マショー、ノートルダム・ミサ。 [2016]

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近頃、ちょっと話題の、集英社新書、『テンプル騎士団』(佐藤賢一著)を読んだ。おもしろかった!何しろ、当のテンプル騎士団を、ジェダイの騎士に例えてしまうのだから... いや、そういうトリッキーさもあって、俄然、中世との距離は近付くよう。けど、そこに描かれるテンプル騎士団の姿は、ジェダイの騎士というより、中世版GAFA。いや、ヨーロッパ全域を高度につないで、国家や経済を潤滑に回して行く様に、現代に通じるものがあり... そんな中世の風景を提示されると、"暗黒の中世"というイメージは吹き飛んでしまう。そう、テンプル騎士団が活躍した中世は、意外とスマートで、豊かで、ある意味、バブリーで、イケイケでもあった。しかし、"災厄の14世紀"がやって来る。盛者必衰の理をあらはし、テンプル騎士団は火炙り(1314)にされ、火炙りにしたカペー朝は断絶(1328)、それによって始まる百年戦争(1337-1453)の泥沼... 決定打は、14世紀半ばにヨーロッパにもたらされるペスト禍!当時のヨーロッパの人口の3分の1が失われたとされる、死に至る病の蔓延は、生産性を低下させ、都市を機能不全に陥れ、社会は崩壊、まさに黙示録のような風景をヨーロッパに作り出した(映画やドラマで描かれる、ゾンビがそぞろ歩くイメージは、ペスト禍の記憶とも言われる... )。それは、まさに、暗黒の中世... 黄金期を迎えた中世が、暗黒へと落ちて行く。歴史とは、時に恐ろくドラマティックだったりする。
そして、暗黒へと落ちようとする中、爛熟を極めた中世の音楽に、新しい技法が登場。アルス・ノヴァ!その新しい技法を駆使して、画期的なミサが誕生する。そのミサ... ビョルン・シュルツァー率いる、古楽ヴォーカル・アンサンブル、グラドラヴォワの歌で、マショーのノートルダム・ミサ(GLOSSA/GCDP 32110)を聴く。いやー、暗黒から響いて来るようだよ、これは...

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ランディーニ、心の目。 [2019]

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西では百年戦争、東ではオスマン・トルコの侵攻、何よりペスト禍、さらにはローマ教会の分裂=シスマと、様々な災厄に苛まれた14世紀のヨーロッパ。まさに"災厄の14世紀"なのだけれど、丁寧に見て行くと、それら災厄による破壊があって、また新たな時代は切り拓かれており... 中世の文化を主導したフランスの失墜が、新たな場所で、新たな文化が芽吹く機会を与えたとも言える。その代表が、イタリア!長らくドイツの影響下(ドイツ王たる神聖ローマ皇帝は、イタリア王も兼ねていた... )に置かれ、皇帝派=ギベリン、教皇派=ゲルフの激しい対立を招き、政治的には、"災厄の14世紀"以前こそが、災厄の日々だったとも言えるのかもしれない。が、13世紀に、皇帝派の旗頭であるホーエン・シュタウフェン朝が断絶(1268)。14世紀に入ると、アナーニ事件(1303)、アヴィニョン捕囚(1309-77)により、教皇の権威も失墜。すると、イタリアには政治的な空白が生まれ、より自由な気分が醸成されようとしていたか?それを象徴するように、ダンテ(1265-1321)、ペトラルカ(1304-74)、ボッカチョ(1313-75)らが登場し、新たな文学を興る。一方、絵画では、チマブーエ(ca.1240-1302)、ジョット(ca.1267-1337)らが登場、ペスト禍の最中にありながら、ルネサンスは、すでに準備されていた。
そして、音楽もまた... フランスの多声音楽の影響を受けながら、後のイタリア音楽のメロディックなあたりを先取りするトレチェント音楽が花開き、次なる時代、ルネサンスの音楽の成立に刺激を与えることに... そんなトレチェント音楽、クリストフ・デリーニュのオルガネットで、ラ・レヴェルディが歌う、ランディーニの作品集、"L'Occhio del Cor"(ARCANA/A 462)を聴く。

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