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新しい時代に願いを籠めて、世界の調和。 [before 2005]

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新しい時代、令和を音楽で寿ぐ!山田耕筰のおめでたい交響曲に続きまして、令和の「和」の字に通じる、ヒンデミットの交響曲「世界の調和」を聴いてみようと思う。いや、日本は、ゴールデン・ウィーク中、時間が止まり、まるで夢の中にいるような不思議な心地に包まれていたわけだけれど、一転、世界に目を向ければ、あっちでも、こっちでも、不穏な空気が渦巻いていて... 少し前(そう、オバマ大統領がまだホワイトハウスにいた頃... )までは、それと無しに、ハーモニーがあったように思うのだけれど、今や、酷いポリフォニー... 面子にばかりこだわるみっともない権力者たちの行状が荒目立ちし、不満を抱えた人々は、ただ不満をブチまけるだけの不毛が世界中に横溢している現状。まるで世界中が駄々っ子になってしまったかのような、21世紀。ビューティフル・ハーモニーは、あまりに遠い... もちろん、全てが同じハーモニーを奏でられるなんてことはあり得ないし、ハーモニーも強制されれば、全体主義になってしまうけれど、あらゆる問題に着実に向き合うために、世界があと少し隣で奏でられるメロディーに耳を傾けることができたならば、世界はもっと楽に過ごせる気がするのだよね...
ということで、世界に調和がもたらされますように!今一度、「令和」の言葉に願いを籠めて、ヘルベルト・ブロムシュテットが率いた、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏で、ヒンデミットの交響曲「世界の調和」(DECCA/458 899-2)を聴く。

ヒンデミットは、なぜ「世界の調和」を書いたのか?ヒンデミットが生きた時代もまた、世界から調和が失われていたから... 自由で奔放なヴァイマル文化が花開いた1920年代、気鋭の作曲家として地位を築いていたヒンデミット(1895-1963)だったが、1930年代、全体主義がヨーロッパを覆い出すと、息苦しさを覚える。そうした中、宗教改革に翻弄されたドイツの画家、マティアス・グリューネヴァルト(ca.1470-1528)を題材とするオペラ『画家マティス』を作曲(1934-35)。その予告編とばかりにオーケストラ用に編み直し、1934年、交響曲「画家マティス」を、フルトヴェングラー率いるベルリン・フィルによって初演、大成功させる!しかし、その前年、1933年に政権を掌握していたナチスが、作品を問題視... 政治からの芸術家の自由を希求するストーリーは、全体主義にそぐわないということもあったが、何よりヒンデミットの1920年代に培った気鋭の作風に対して、いわゆる「退廃芸術」の烙印を押し、ヒンデミット批判を展開。これに異を唱えたフルトヴェングラーは、紙面で以ってヒンデミットを擁護するも、ナチスによる体制はすでに確立されており、状況は悪化... フルトヴェングラーは、ベルリン・フィルの音楽監督を辞任、翌、1935年、ヒンデミットは、ドイツでの活動の場を失い、トルコへと渡る。これが、世に言う「ヒンデミット事件」。自由闊達だったドイツの音楽シーンの空気が変わる分水嶺となる。そして、トルコに渡ったヒンデミットが、1936年、新たに書き始めたオペラが、『世界の調和』。宗教戦争が激しさを極める中、プロテスタントとして生き、苦難を乗り越え、ケプラーの法則を見つけ出す天文学者、ケプラー(1571-1630)の、宇宙にハーモニーを見出す姿を描くストーリー(『世界の調和』は、ケプラーの著作のタイトルから採られている... )は、時代の激流に押し流される作曲家自身を象徴しているかのよう... トルコからスイス(1938-40)へ、さらに第2次大戦(1939-45)が勃発した翌年、1940年には、アメリカへと亡命するヒンデミット。そんな異国の地で、断続的に書き進められていた『世界の調和』は、1951年、スイス、チューリヒ大学の教授に招かれ、ヨーロッパに戻った年に、同じくスイス、バーゼルを拠点とする20世紀音楽に欠かせないパトロンにして指揮者、パウル・ザッハー(1906-99)からの委嘱に応える形で、『画家マティス』同様、交響曲に仕立てられ(オペラとしての完成は、6年後の1957年。同年、ミュンヒェンで初演される... )、翌、1952年、ザッハーの指揮、バーゼル室内管によって初演される。
ケプラーを描くオペラを素材にしながら、ヒンデミットは、交響曲「世界の調和」(track5-7)で、より大きな世界を表現しようとしているのかもしれない。古代の音楽観を中世に伝えた、ボエティウス(480-525)の『音楽教程』、そこに示されているムジカ・インストゥルメンターリス(声、楽器による、人の耳に聴こえる音楽)、ムジカ・フマーナ(人間の身体を調律する音楽)、ムジカ・ムンダーナ(宇宙、世界を調律する音楽、つまり、ケプラーが求めたハーモニー... )という古い理論を、全3楽章、それぞれに反映... 単にオペラを交響曲化するのではない、古楽に強い関心を持っていたヒンデミットらしい趣向と言えるのかもしれない。その1楽章、ムジカ・インストゥルメンターリス(track.5)は、冒頭にオペラの前奏曲をそのまま持って来て、少し芝居掛かって始めながら、ヒンデミットらしいドライでちょっとダークなモダニズムを繰り出す。続く2楽章、ムジカ・フマーナ(track.6)は、緩叙楽章にあたるパートで、古典的なシンプルさがありながらも、より重々しく音楽を展開... それは、この交響曲に至るまでのヒンデミットの困難な歩み、心許無さを表すようで、印象深い。そして、その重々しさが次第に晴れて行く3楽章、ムジカ・ムンダーナ(track.7)... しっかりとしたパッサカリアを繰り出して、その対位法が織り成す音楽の動きが、天体の運行を思わせて、それまでとは一味違う荘重さを醸し出す。いや、絶妙に宇宙の風景を見せてくれるようで... 遠くの星々の瞬きを思わせるグロッケンシュピールの澄んだ音がアクセントとなる中間部を経て、再び、ダイナミックにパッサカリアが響き出し、壮麗なる宇宙が響き出す。闇を知るからこその壮麗さか...
という、交響曲「世界の調和」を、ブロムシュテットが率いたゲヴァントハウス管で聴く。まず耳を捉えるのは、ブロムシュテットならではの澄んだ響き... 北欧にルーツを持ち、アメリカが育んだその音楽性は、ちょっと他に探せないものがある。北欧的な透明感と、アメリカ的な明快さが結ばれて生まれる、突き抜けた癖の無さ。癖が無いからこその、作曲家に対して、作品に対して、とても真摯な態度が感じられて、なればこそ生まれる、新鮮さ!交響曲「世界の調和」もまたそうで、モダン・エイジの申し子の、ちょっと無機質なテイストが、ナチスの闇に触れ、ダークに深まったあたりを淡々と捉え、難しい時代に書かれた音楽に、また違った光を掘り起こすよう。そんなマエストロに応えるゲヴァントハウス管も、研ぎ澄まされたサウンドを聴かせ、ダークな表情の中から、瑞々しさを汲み出し、楚々と煌めかせる。さて、このアルバム、交響曲「世界の調和」の前に取り上げられるシンフォニア・セレナ(trac.1-4)も聴き所... 1946年、アメリカ時代に作曲された作品は、擬古典主義的でありながら、アメリカ的なポップさもあり... アイヴズを思わせるような瞬間も?シンフォニア・セレナの「セレナ」は、穏やかな、静かなといった意味とのこと... そうしたトーンを大切にしながら、ヒンデミット流のアメリカンをスマートに聴かせ、派手ではないけれど、聴き入ってしまう。これは、隠れた佳曲。

HINDEMITH: SYMPHONIA SERENA/DIE HARMONIE DER WELT
GEWANDHAUSORCHESTER LEIPZIG/HERBERT BLOMSTEDT


ヒンデミット : シンフォニア・セレナ **
ヒンデミット : 交響曲 「世界の調和」

ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
クリスティアン・フンケ、カール・ズスケ(ヴァイオリン) *
エーベルハルト・フライベルガー、ベルン・イェクリン(ヴィオラ) *

DECCA/458 899-2




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