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生誕200年、オッフェンバックは、国際的なチェロのヴィルトゥオーゾ! [2010]

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生誕200年のグヴィに続いて、生誕200年のオッフェンバックに注目します。
さて、この2人を並べてみると、なかなか興味深い。まず、ともに生誕200年ということで、同い年(オッフェンバックが6月20日生まれで、グヴィが7月3日生まれ... )。さらに、ともにドイツ生まれ(オッフェンバックはケルン、グヴィはザールブリュッケン... )で、パリで音楽を志している。つまり、同じ時代、同じ場所(グヴィは、次第にドイツ出張が多くなるけれど... )で音楽と向き合っていたわけだ。が、その歩みは実に対照的... 一方はシンフォニストとして、ストイックにアカデミズムを貫き、もう一方は抜け目なく階段を上り、やがてオペラ・ブッフで一世を風靡する。いや、本当に、同じ時代、同じ場所を彩った音楽なのか?と思うほどの落差を感じてしまうのだけれど、これが、当時のパリの懐の大きさというか、ごった煮感!高尚と低俗がワイルドにせめぎ合いながら、高尚には禍々しさも滲み、低俗には思い掛けなく明晰さが裏打ちされていて、このアベコベ感がおもしろい。19世紀のパリは、バブリーで、碌でもないところがありながらも、一筋縄には行かないおもしろさがある。
ということで、まさに一筋縄には行かない!真面目なオッフェンバック!なんて、あるの?ロラン・ピドゥとエティエンヌ・ペクラールのチェロで、オッフェンバックの『二重奏教程』、Op.54から、1番と2番の組曲(harmonia mundi/HMA 1951043)を聴く。

ジャック・オッフェンバック(1819-80)。
本名は、ヤーコプ・レヴィ・エーベルスト... オッフェンバッハ・アム・マイン(フランクフルトの隣町... )から、ケルンにやって来たユダヤ系の一家に生まれたオッフェンバック。父は、オッフェンバッハの人、"デア・オッフェンバハー"と呼ばれ、音楽教師で、時折、カフェでヴァイオリンを弾きながら、シナゴークの聖歌隊で歌い、後に先唱者を務めた人物。けして裕福ではなかったものの、音楽的な環境の中で成長したオッフェンバックは、はじめにヴァイオリンを学び、続いてチェロも巧みに弾くようになり、兄(ヴァイオリン)、姉(ピアノ)とトリオ組んで、カフェやダンスホールで演奏していた。その際には、オリジナル作品も披露... 早くも作曲家としての片鱗を見せると、父は一念発起!1833年、14歳になったオッフェンパックを、パリのコンセルヴァトワール(フランス国籍を持たないオッフェンバックは入学資格が無かったが、抜きん出た才能と、父の巧みな交渉によって入学が適ってしまう!)に送り込む。が、アカデミックな授業は退屈だったのだろう、何と、一年で辞めてしまう。
しかし、15歳のオッフェンバック、ケルンには帰らず、飄々とオペラ・コミック座のチェロ奏者の職を見つけ、オーケストラ・ピットからオペラを実地学習。さらに、オペラ『ユダヤの女』(1835)でブレイクを果たしたアレヴィ(父親がドイツ系ユダヤ人で、オッフェンバックと似た境遇... )にも師事。一応、きちんと作曲を学び始めれば、当時人気を集めていたカフェ"トルコ庭園"でワルツを披露、巷で評判に... 1838年、19歳になると、4年間勤めたオーケストラを辞め、今度はコンセルヴァトワールの先輩で、同郷のフロトウ(オペラ『マルタ』で知られる作曲家、北ドイツの貴族の出身... )と、チェロとピアノのデュオを組み、上流のフロトウの伝手で、サロンで演奏して回る。ここでは、器用に、上流の作法を吸収し、見事に溶け込みつつ、曲芸的なパフォーマンス(チェロで動物の鳴き声を真似たり... )を繰り出して、サロンの客人たちを沸かせる。もちろん、真面目な演奏でも魅了し、"チェロのリスト"と呼ばれるまでに!そして、スペインの将軍の令嬢、エルミーヌ・ダルカンと恋に落ちる...
当然、エルミーヌ嬢との結婚には障壁があった。が、これまた飄々と乗り越えてしまうオッフェンバック。まず、ユダヤ教からカトリックに改宗。そして、良家の子女と釣り合いが取れるほどの収入を得られる国際的なヴィルトゥオーゾに変身するため、ドイツ・ツアーを敢行。アントン・ルビンシテインリストといった、当代一流のヴィルトゥオーゾたちと共演を果たし、故郷にも錦を飾れて、大成功!極めつけは、1844年のイギリス・ツアー(を、お膳立てしたのが、エルミーヌの母の再婚相手で、ロンドンの有力な興行師、ミッチェル氏... )。ロンドンでのコンサートは大成功。さらに、ウィンザー城にも呼ばれ、ヴィクトリア女王夫妻、ロシア皇帝、ザクセン王の御前で演奏を披露し、これまた大成功!意気揚々とパリへ帰って来た、国際的なヴィルトゥオーゾ、オッフェンバック氏は、エルミーヌ嬢とめでたく結婚。それから間もなく1847年に書かれたのが『二重奏教程』。コンセルヴァトワールのお勉強に一年で飽きてしまった人物が、"教程"とは、ギャグ?いや、大真面目です。
Op.49からOp.54まで、5巻からなる『二重奏教程』。それぞれ2挺のチェロで奏でられる組曲を複数収録。そして、ここで聴くのは、最後のOp.54から、1番(track.1-3)と2番(track.4-6)。"教程"というだけに、超絶技巧を華麗に繰り広げる、なんてことは無いのだけれど、チェロの響きを大切に、じっくりと魅力的な音楽が織り成される。てか、本当にオッフェンバック?というくらいに真面目で、何より麗しい... そんな始まり、1番、1曲目、アレグロ・マ・ノン・トロッポ... ドラマティックに始まり、ロマン主義の時代らしい物悲しいメロディーをチェロが滔々と歌い出す。はぁ、ため息。続く、2曲目、アダージョ・レリジオーソ(track.2)では、まるで子守唄のようなやさしいメロディーがしっとり奏でられ、さらに、ため息。チェロという楽器が持つ温もり、懐の大きさをそこはかとなしに際立たせ、聴く者を包み込んで来る。最後、3曲目、ロンド(track.3)では、物悲しさを抱えながら、チェロは踊り出す。何だろう?1番の仄暗さは、ユダヤ調か?そういう味わい深さに、惹き込まれる。
という1番から一転、2番(track.4-6)は、ふわっと明るさを取り戻し、フランスらしさを見せる。一方で、1曲目、アレグロ(track.4)の充実した響きには、弦楽四重奏を思わせる構築感があって、確かな聴き応えを生んでいる。いや、コンセルヴァトワールを一年で飽きてしまった人の音楽とは思えないアカデミックさであり、それがまた音楽をより風格のあるものに... このあたりは、ドイツ人"オッフェンバッハ"であったことを思い出させるのか... そして、短い2曲目、アンダンテ(track.5)を挿んでの、最後、3曲目、ポロネーズ(track.6)では、明朗で楽しげな音楽が繰り出され、後のオペラ・ブッフを予感させるところも... しかし、2挺のチェロのみで奏でることのおもしろさたるや!チェロならではの深みが2倍となって安定感を増しつつ、チェロならではの音域の広さを活かし切り、まるで弦楽オーケストラのように響き出す。で、その豊かな在り様は、もはや巨匠然としていて、シューマンやブラームスの作品だと言われても驚かない。恐るべし、真面目なオッフェンバック...
そんな、真面目なオッフェンバックの音楽を、ますます引き立てる、ピドゥとペクラールの演奏。いやー、チェロの魅力が、どわーっと溢れ出す。フランスの実力派の、落ち着いたタッチは、チェロの本質を丁寧に引き出すようなところがあって、その音色は深く、そして、瑞々しい。でもって、そういうチェロが、2挺並んで、増幅される、チェロのすばらしさ!見事に息の合った演奏は、まるで1挺のようなまとまりを見せつつ、2挺を越えて行く広がりを見せる。押し付けがましいところは一切無いのに、圧倒的にチェロの味わい深さが押し寄せて来る。いや、ピドゥとペクラールばかりでなく、もうひとりのチェリスト、オッフェンバックの感性も共鳴するのか... これは、作曲家による音楽というより、チェロを知り尽くしたチェリストたちによる音楽なのだろう。チェロがより自然に歌い、響き合い、単に美しいというだけでない、他の楽器には無い存在感、佇まいを、その音楽が、演奏が、存分に味あわせてくれる。そして、味わって、思う、チェロって、最高!

OFFENBACH SUITES POUR 2 VIOLONCELLES ROLAND PIDOUX, ETIENNE PÉCLARD

オッフェンバック : 『二重奏教程』 Op.54 から 組曲 第1番
オッフェンバック : 『二重奏教程』 Op.54 から 組曲 第2番

ロラン・ピドゥ(チェロ)
エティエンヌ・ピクラール(チェロ)

harmonia mundi/HMA 1951043




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