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カッツァーティ、聖アンドレーアの晩祷。 [before 2005]

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17世紀、オペラの誕生が象徴するように、世俗音楽の世界ではバロックが始動する。が、教会音楽の世界は保守的で、まだまだルネサンス・ポリフォニーがスタンダード... オペラの影響を受け、聖書を歌うオラトリオがじっくりと収斂されて行くも、教会音楽の本丸たる典礼音楽に新たなバロックの精神、語法が用いられることは忌避される傾向にあった。例えば、第2作法(ルネサンス・ポリフォニー=第1作法に対する新たな語法... )の巨匠、モンテヴェルディが、その第2作法を織り交ぜた野心作、『聖母マリアの夕べの祈り』(1610)を、教会音楽の家元、聖都、ローマに持ち込み、就職活動を試みるも、相手にされなかった。が、第2作法の巨匠を生んだ北イタリアでは、また違った状況が生まれ始める。次第に高まるオペラの人気、器楽曲の発達を柔軟に取り込み、より花やかに、そして劇場的に典礼音楽を織り成して、後の教会音楽の在り方を切り拓いた。
で、その牽引役を果たしたのがボローニャ楽派の面々... フランチェスコ・モイ率いる、アカデミア・デリ・インヴァギーティの演奏と歌で、ボローニャ楽派の父、カッツァーティの音楽による、聖アンドレーアの晩祷を再現した1枚(TACTUS/TC 610301)を聴く。

マウリッツィオ・カッツァーティ(1616-78)。
ボローニャ楽派の父、カッツァーティが生まれたのは、かつてモンテヴェルディが仕えていたマントヴァ公国のルッザーラという町(正確には、マントヴァ公が公位を兼ねていた、マントヴァ公国の南に隣接する小さなグアスタッラ伯領... カッツァーティが生まれて間もなく公国に昇格している... )。で、古い作曲家の例に漏れず、カッツァーティの生い立ちもよく解っていない。が、1641年、25歳の若さでマントヴァのサンタンドレーア聖堂の楽長に就任しているところを見ると、かつて第2作法の巨匠、モンテヴェルディが楽長(1602-12)として活躍していたマントヴァで、北イタリアの先端的な音楽を学び、才能を開花させ、マントヴァの重要なポストに昇ったのだろう。そんなカッツァーティは、マントヴァを足掛かりに周辺の宮廷や都市でも活躍するようになり、1657年、ボローニャのサン・ペトローニオ大聖堂のポストを獲得する。で、注目すべきは、サン・ペトローニオ大聖堂という建物!教皇聖下の御膝元、サン・ピエトロ大聖堂を越える巨大な規模の聖堂を計画し、そのあまりの巨大さのあまり、結局、身廊部分(基本的に十字架の形を成す教会建築だけれど、その十字架の下の棒... )しか建設されなかったという異形の大聖堂... カッァーティは、この巨大で細長い空間の、その奥まで、声が届くような音楽を準備する必要に迫られた。そうして行き着いた形が、歌い手が祭壇を背に会衆と向き合う形... って、つまり現在のコンサートの形だよね、これ... オーケストラを伴奏に、ソロが歌い、コーラスが歌いという、今となっては当たり前となった形が、ボローニャ楽派による革新だった!カッツァーティは、それまで培って来た第2作法を存分に活かして、サン・ペトローニオ大聖堂を、一躍、最新音楽の発信基地に育て上げる。が、革新は議論を呼び、さらには抵抗勢力を生み、次第にカッツァーティの仕事に支障が出始め、就任、14年目、1671年、楽長職を解任され、マントヴァへと帰る。
さて、ここで聴く聖アンドレーアの晩祷は、カッツァーティがボローニャで活躍する以前、マントヴァのサンタンドレーア聖堂の楽長に就任した1641年、サンタンドレーア聖堂での晩祷を再現するのだけれど... その年に出版された『詩篇とミサ集』の詩篇と、ボローニャから帰って来て間もない1672年に出版された『ラルモニア・サクラ・デッランティフォーネ』のアンティフォナによって構成される。つまり、1641年を切り取りながらも、ボローニャ楽派の種と、ボローニャでの実りを巧みに結んで、カッツァーティの音楽を見事に網羅。で、その始まりは、『詩篇とミサ集』からのレスポンソリウム「主よ、来たりてわれを助けたまえ」。高らかに宣言される聖句に続いて、幕開けを飾るに相応しい器楽アンサンブルを伴ったコーラスが、声をひとつに「ドーミネー」と壮麗に歌い出すと、ルネサンス・ポリフォニーが完全に過去に感じられ... そのコーラスに、ソロの明朗な歌声が応え... この大小の対比と、大小のやり取りが心地良く音楽を運び、初期バロックの教会音楽の最新の在り様を示す。続く、『ラルモニア・サクラ・デッランティフォーネ』からのアンティフォナ「めでたし、高貴な十字架」(track.2)は、短いながらもオルガンを伴奏にソプラノが愉悦に充ちたやさしいメロディーを歌い、まるで18世紀?!いや、『ラルモニア・サクラ・デッランティフォーネ』からのナンバーは、ボローニャでの成果がしっかりと聴き取れて、その先にモーツァルトがいることさえ感じさせてくれる(モーツァルト少年は、ボローニャ楽派、最後の大家、マルティーニ神父に師事... )。17世紀の音楽の扉を開けたのが、フィレンツェのカメラータなら、18世紀の音楽の扉を開けたのは、ボローニャ楽派だったか... ポスト・バロックを思わせるトーンが、聖アンドレーアの晩祷を何とも魅惑的なものにしている。
それにしても、カッツァーティの音楽はおもしろい!ポスト・モンテヴェルディにして、モーツァルトを準備してしまう不思議さ... 冷静に音楽史のスケールに照らし合わせると、そこにはただならない飛躍(盛期バロックのイメージが抜け落ちている!)があって、ちょっとまとめ難いようにすら感じるのだけれど、ありのままを捉え、魅惑的な音楽を響かせるモイ+アカデミア・デリ・インヴァギーティの演奏と歌。イタリアのピリオドというと、濃いイメージがあるのだけれど、彼らのサウンド、歌声は、真っ直ぐで、何より伸びやかで、得も言えず耳に優しい。もちろんそこにはカッツァーティの音楽の性格もあるのだろうけれど、モイ+アカデミア・デリ・インヴァギーティの音楽性が、その性格にドンピシャではまって、より魅惑的!また、イタリアのピリオドならではの色彩感、明るさにも充ち溢れ、カッツァーティの音楽をより芳しく響かせて、美しい... そうした中、絶妙なアクセントとなっているのが、聖アンドレーアの晩祷の翌年、1642年、ヴェネツィアで出版された『カンツォン集』から、2つのヴァイオリンと通奏低音によるカンツォーネ「ラ・ゴンツァーガ」(track.11)。楽器の編成といい、緩急が交替する構成といい、まさにトリオ・ソナタの種!器楽曲の分野でも大きな成果(コレッリを育て、盛期バロックの準備をした... )を残すことになるボローニャ楽派の一端をさらりと、それでいてキラリと光らせるアカデミア・デリ・インヴァギーティの演奏がまたすばらしい!こういう、ちょっとしたピースまで、綺麗に仕上げて輝く聖アンドレーアの晩祷。ボローニャ楽派の父、カッツァーティの存在を、より魅惑的なものとし、惹き込まれる。

MAURIZIO CAZZATI(1616-1678)
Vespro di Sant'Andrea - ACCADEMIA DEGLI INVAGHITI


カッツァーティ : 聖アンドレーアの晩祷

フランチェスコ・モイ/アカデミア・デリ・インヴァギーティ
カペッラ・ムジカーレ・ディ・サンタ・バルバラ

TACTUS/TC 610301




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