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ワーグナー版、第九。17歳、ワーグナーの純真に貫かれて... [before 2005]

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シンフォニストたちにとっての"9"は、宿命の数字。それぞれの9番の交響曲には、他の番号には無いストーリーが籠められるのか... 最高傑作となったドヴォルザーク、書き終える前に人生の終わりが来てしまったブルックナー、しっかりと書き終えて、初演にも立ち会ってから世を去ったヴォーン・ウィリアムズ、そんな運命に怖じ気づいて、書くのを途中で止めてしまったグラズノフ、"9"を前に逃げ出したマーラー... こうやって見渡すと、シンフォニストたちの"9"を巡る悲喜交々が、ちょっと微笑ましく思える。しかし、シンフォニストにとっての"9"は、立ちはだかる壁。そんな壁を打ち立てたのが、楽聖、ベートーヴェン。絶対音楽である交響曲に、歌を盛り込むという掟破りを犯した記念碑的作品、第九は、その後のシンフォニストたちに多大な影響を与えたわけだ。いや、我々にとっての年末のお楽しみは、シンフォニストたちからすると、ある種の呪物と言えるのかもしれない。そして、毎年、飽きずに感動している我々もまた、呪物の持つ力に取り憑かれてしまっているのかも?
ということで、第九!けど、いつもの第九じゃない... 小川典子のピアノ、バッハ・コレギウム・ジャパンの歌で、もうひとり、呪物に取り憑かれた作曲家、ワーグナーのアレンジによる、ピアノ版、ベートーヴェンの9番の交響曲、「合唱付き」(BIS/BIS-CD-950)を聴く。

1824年、ウィーンのケルントナートーア劇場で、第九が初演された頃、ワーグナーは11歳。ドレスデンのクロイツ学校(ドレスデンの十字架教会の付属学校で、ドレスデン十字架合唱団の母体... )で学んでいた。そんなワーグナー少年が第九と出会ったのは、1827年、家族でライプツィヒに引っ越した後... きちんとした音楽教育を受け始めたワーグナーは、1828年、ケヴァントハウスのコンサートで、第九を聴き、衝撃を受ける。そして、その衝撃は、ここで聴く、ピアノ版、第九へと至る。第九と出会った翌年、初めての作曲(ピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲、現存せず... )も試み、17歳となったワーグナーは、大胆にも、楽聖、最後の交響曲をピアノ用にアレンジ。1830年、そのスコアを出版しようと、第九のスコアを出版したショット社に送る。もちろん、それは実現せず、スコアは送り返されたものの、ショット社は、若きワーグナーのチャレンジに応え、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの総譜も一緒に送ったらしい。が、ワーグナーは、食い下がる!出版料はいらないので、と、再びスコアを送り付けるワーグナー... 一般に演奏することが適わない交響曲の普及版として、弦楽四重奏版やピアノ版が多く出回っていた時代、若きワーグナーの第九を広めたいという熱い願いがそこにはあったよう。呪物としての第九に最初に取り憑かれた作曲家は、ワーグナーだったか?やがて、ドレスデンの宮廷劇場(現在のゼンパー・オーパー)の指揮者となったワーグナーは、1846年、宮廷楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)による復活祭前の日曜日の特別演奏会で、大反対(よく知られたオラトリオや交響曲を取り上げるのが通例で、第九は、当時、すでに忘れ去られつつあった作品だった... )されながらも第九を取り上げ、見事、大成功させる!そして、この大成功が、その後の第九の普遍的価値を決定付けることに... 現在の年末恒例には、ワーグナーの存在が欠かせなかったわけだ。
でもって、17歳のワーグナーによるピアノ版、第九なのだけれど、17歳という年齢にまず驚かされる。一方で、ほぼ音楽的経験の無い17歳のアレンジに不安を覚える(ワーグナー、ピアノ、苦手だったし... )。というところからの第一印象は、未熟なものを感じてしまう。ベートーヴェンの交響曲のピアノのためのアレンジというと、リストのものがよく知られているわけだけれど、そのリストによるアレンジを聴いてみれば、経験の違いを思い知らされる。しかし、リスト版からワーグナー版を見つめると、17歳、ワーグナーの純情がキラキラと輝き出し、惹き込まれてしまう。ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのリストによる第九は、ベートーヴェンであると同時にリストであって、見事に煌びやか!まさにアレンジの醍醐味を楽しませてくれるのだけれど、オリジナルで味わえる、あの独特な深さ、神秘、ユニヴァーサルさは、華麗なるリストのヴィルトゥオージティが前面に立って、より解り易いものに書き換えられてしまう。一方で、ワーグナーの未熟さは、楽聖の音楽をそのままピアノに落とし込もうとする。あのユニヴァーサルさをピアノというひとつの楽器に落とし込むのだから、言葉足らずになるのは当然であって、そうしたあたりが未熟に感じる要因だろうが、聴けば聴くほど、その未熟から、第九の深さや神秘が溢れ出す!そもそも、楽聖の音楽が不器用なものであって、その不器用が第九を呪物に変えたとも言えるわけで、それを素直にピアノに落とし込むことができるのは、若きワーグナーの未熟でしかないのかもしれない。交響曲としての第九を愚直に見つめる若きワーグナーのアレンジには、オーケストラの動きが活き活きと捉えられていて、ピアノからよりオーケストラを感じられるよう。そういう愚直さを前にすると、リストのアレンジは、安っぽく感じられなくもない?
そんな、17歳のワーグナーによるアレンジを、一音一音、がっしりと捕まえて行く小川のピアノ。第九の武骨さを、実直に響かせて顕われる、この交響曲ならではの深さであり、神秘... ピアノでありながら、オーケストラで味わう感覚を追体験させてくれるそのタッチは、ちょっと不思議な印象がある。ピアノが鳴り響いているのに、その音が耳から入って来ると、頭の中ではオーケストラが鳴り出すような... 彼女が叩く鍵盤の一音一音には、ピアノというひとつの楽器ではない、オーケストラの様々な楽器の音色が響いているようで、ピアノでありながら、ピアノでないような、広がりを感じさせてくれる。何より、ワーグナーによるアレンジへの揺ぎ無い信頼だろうか?未熟だろうと何だろうと、バシっと打鍵する潔さが生む、説得力たるや!ガツンと来る聴き応えに、魅了されずにいられない。一方で、終楽章(track.4)に登場するバッハ・コレギウム・ジャパンの面々... いつものように、バッハのカンタータを歌うような、ふわっと、やわらかな歌いっぷりが、第九っぽくない?けれど、ピアノの存在を覆い隠すことの無いその歌声は、ピアノの存在を引き立て、また、彼らならではの室内楽的なアプローチが、ベートーヴェンの音楽の繊細さを引き出し、オーケストラ伴奏で聴く、いつものパワフルさとは違うおもしろさを聴かせてくれる。そうして、浮かび上がる、呪物、第九の清廉な姿... 何だか、不思議...

Ludwig van Beethoven/Richard Wagner: Symphony No.9 - Noriko Ogawa / BCJ

ベートーヴェン : 交響曲 第9番 ニ短調 Op.125 「合唱付き」 〔ワーグナーのアレンジによるピアノ版〕

小川典子(ピアノ)
緋田芳江(ソプラノ)
穴澤ゆう子(アルト)
桜田 亮(テノール)
浦野智行(バス)
鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン(コーラス)

BIS/BIS-CD-950




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