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ヨーロッパのコンセルヴァトワール、チェコから、ウィーンへ! [before 2005]

18世紀、ヨーロッパの音楽シーンを席巻したのはナポリ楽派!ヨーロッパ随一のレベル誇った音楽学校を擁して、一流の作曲家と、スター歌手を育て上げ、それをセットに、ヨーロッパ中に輸出したのだから、大した戦略だった。一方で、そんなナポリ楽派に隠れてしまっているものの、チェコもまた優秀な音楽家をヨーロッパ中に送り出した、音楽教育大国。パリやイタリアの各地で、ドイツのあちこちの宮廷で活躍したチェコ出身の作曲家たちは、驚くほどたくさんいる。バロック期のビーバー(1644-1704)、ゼレンカ(1679-1745)、前回、聴いた、トゥーマ(1704-74)に、リヒター(1709-89)。ヨハン(1717-57)に始まるスタミツ家。フランツ(1709-86)とゲオルグ・アントン(1722-95)のベンダ兄弟ミスリヴェチェク(1737-81)、レスレル (1750-92)と、まだまだ...
そんな、チェコ出身の作曲家たちから、ウィーンで活躍した2人の作曲家に注目。トゥーマの後、疾風怒濤の時代に一世を風靡したヴァンハルの交響曲集(TELDEC/0630-13141-2)、サリエリばかりでなかったモーツァルトのライヴァル?コジェルフの交響曲集(TELDEC/8573-85495-2)。ライナー・エールハルトが率いた、コンチェルト・ケルンの演奏で聴く。


1770年代、疾風怒濤の時代、ヴァンハルはエキサイティング!

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18世紀、イギリスの音楽学者、チャールズ・バーニー(1726-1814)は、チェコについて「ヨーロッパのコンセルヴァトワール」と評したのだとか... フムフムフム、ナポリのようにヨーロッパ随一の音楽院があったわけではないけれど、チェコそのものがコンセルヴァトワールになり得ていたという奇跡!都市部のみならず、農村まで、つましいながらも教育が行き渡り、そこでは音楽の基礎がしっかりと教え込まれていた。限られたエリート教育ではなく、誰もが音楽に触れる機会のあったチェコは、当時のヨーロッパにおいて、まったく以って希有な場所であった。層の厚さを戦略としたチェコ... いや、戦略なんて言うものではなかっただろうけれど、そういう基礎を以ってして、多くの有能な作曲家たちをヨーロッパ中に送り出したわけだ。そのひとり、ヴァンハル(1739-1813)... チェコ北西部の農奴の家に生まれながら、やがてウィーンはもちろん、音楽の都、パリでも人気を博し、国際的に活躍。チェコの音楽教育の確かさを雄弁に物語る存在(ヴァンハルに限らず、意外と農奴階級出身の作曲家がいるチェコ... このあたりにチェコの音楽教育の本気度というか、底堅さに、脱帽するばかり... )。
そのヴァンハルの交響曲を聴くのだけれど、いやはや、疾風怒濤!始まりのニ短調の交響曲(track.1-4)、1楽章、いきなりの全力疾走に、否が応でもグイグイと惹き込まれてしまう。モーツァルトがウィーンにやって来る前、疾風怒涛の時代、1770年代ならではの魅力が、たまらない... 疾風が吹くが如くスピーディーでありながら、18世紀の短調の交響曲ならではのセンチメンタルが得も言えず、ドラマティック... 18世紀の交響曲に当時の音楽ファンは何を望んだかというと、ドラマティックさだったらしい。そもそも、交響曲=シンフォニアは、オペラの序曲=シンフォニアが独立したもので、予告編的なドラマの濃縮の音楽と認識されていたらしい。ウンウン、まさにそんな感じ。ヴァンハルの交響曲は、18世紀の客席を裏切らない。だから、ヴァンハルの交響曲のスコアが出版されると、瞬く間にヨーロッパ中で演奏され、それは大西洋を渡りアメリカにまで及んだというから、当時のヴァンハル人気は、本当に凄かった。でもって、現代を生きる我々の耳をも虜にする。大西洋ばかりでなく、時代を越えて刺激的。そこには、モーツァルトよりも貪欲に聴き手を取り込む才能があるのかも...
さて、ヴァンハルの交響曲を5つ取り上げるコンチェルト・ケルン。その5曲には、当世風というばかりでなく、進化が聴き取れる興味深さも... 5つの中で、最も新しい1775年の作品、「イル・コミスタ」(track.9-11)の充実したサウンドには、ハイドンやモーツァルトの晩年の交響曲に引けを取らない輝きが!華やかで勇壮な1楽章(track.9)、モーツァルト調のセンチメンタルなメロディーが流れてゆく2楽章(track.10)、重々しい序奏の後で見事なソナタ形式を繰り出す終楽章(track.11)は、ベートーヴェンすら予感させて... 改めてヴァンハルの交響曲を聴いてみると、とても新鮮な思いがする。

VANHAL Symphonies
CONCERTO KÖLN


ヴァンハル : 交響曲 ニ短調 Bryan d1
ヴァンハル : 交響曲 ト短調 Bryan g1
ヴァンハル : 交響曲 ハ長調 「イル・コミスタ」 Bryan c11
ヴァンハル : 交響曲 イ短調 Bryan a2
ヴァンハル : 交響曲 ホ短調 Bryan e1

コンチェルト・ケルン

TELDEC/0630-13141-2




1780年代、モーツァルトの時代、コジェルフはさらにその先へ...

8573854952
ヴァンハル少年が農村で学んでいた頃、1747年、プラハの近郊、ヴェルヴァリで、靴職人の家に生まれたコジェルフ(1747-1818)。ヴァンハル同様、地元で音楽の基礎をしっかりと学んだ後、プラハへ移り、やはり作曲家としてチェコで活躍した従兄、ヨハン・アントニーン・コジェルフ(1738-1814)から対位法などを学び、さらには、ピアニストとして活躍したデュシェック(1731-99)の学校に通い、ピアニストとしても才能を開花させる。そんなコジェルフがブレイクするのは、1778年にウィーンへ進出してから... 瞬く間に帝国の首都で人気を獲得、1784年には自作の出版を切っ掛けに、出版事業にも手を広げ、モーツァルトのピアノ・ソナタを出版したことも... というモーツァルト(1756-91)とは、ほぼ同世代。モーツァルトがザルツブルク大司教の下を飛び出して空いたオルガニストのポストをオファーされたり(コジェルフは断る... )、モーツァルトが欲して得られなかった宮廷楽長のポストに、モーツァルトの死の翌年、就任するなど、まさに同時代を切磋琢磨した仲でもあった。
というコジェルフの交響曲は、まさにモーツァルトの時代の音楽。が、1曲目、ハ長調の交響曲(track1-4)の、ダーン!という始まりの一撃は、まるでベートーヴェン... モーツァルトの最後の3つの交響曲が作曲される前年、ハイドンのロンドン交響曲が作曲され始める4年前にあたる1787年の作曲、ということを考えると、コジェルフは、ハイドン、モーツァルトより先んじていたか?いや、コジェルフを聴いていると、ハイドン、モーツァルトが、今ひとつ新しい時代へ跳躍し切れていなかったように感じられてしまう。モーツァルトの「ジュピター」(1788)も、ハイドンの「ロンドン」(1795)も、見事な交響曲であることに疑いは無いけれど、次の時代につながる交響曲は、コジェルフだったか... 一方、「優柔不断」(track.12-15)では、多感主義へと先祖返りするようなところがあって、まさに優柔不断?1楽章(track.12)の後半には、激しく感情が交替するロカテッリの「アリアンナの涙」(1741)、1楽章を思い起こし、不思議... 終楽章(track.15)も、その1楽章の不思議が挿し挟まれつつ、妙なフェード・アウトで終わるのだけれど... 何だこりゃ?いやいやいや、新しいことを仕掛けようという作曲家のチャレンジングさに、18世紀のアブストラクトを見て、予定調和に至らないのが、おもしろい後味を残して、乙。
ということで、ヴァンハル、コジェルフと、コンチェルト・ケルンの演奏で聴いたのだけれど、いやー、18世紀が冴え渡る!ピリオドにして、パワフルで、もの凄いテンションで聴く側を圧倒しつつ、徹底して律儀。改めてエールハルトが率いたコンチェルト・ケルンと向き合うと、律儀から繰り出されるテンションに、ちょっと奇異なものも感じるのだけれど、だからこそ疾風怒濤が本当に疾風を呼び、怒涛の展開を巻き起こし、古典主義の時代の端正さから逸脱して、極めて刺激的なものとしてしまう。遠い昔の音楽のはずが、目の前で息衝き出してドギマギ。そんなコンチェルト・ケルンは凄かった...

LEOPOLD KOZELUCH Symphonies
CONCERTO KÖLN

コジェルフ : 交響曲 ハ長調 Poštolka I:6
コジェルフ : 交響曲 イ長調 「フランス風」 Poštolka I:10
コジェルフ : 交響曲 ニ長調 Poštolka I:1
コジェルフ : 交響曲 変ロ長調 「優柔不断」 Poštolka I:11

コンチェルト・ケルン

TELDEC/8573-85495-2




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