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オカルティズムを浄霊して見えて来る、スクリャービンの時代... [before 2005]

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2015年のメモリアルを追う今月、北欧の2人(生誕150年、ニールセンシベリウス... )に目が行きがちなのだけれど、没後100年、スクリャービン(1872-1915)を忘れるわけには行かない。で、ふと思う。没後100年?スクリャービンの音楽の、謎めいていて抽象的ですらある曖昧模糊としたイメージを考えると、もっと後の時代を生きていたような、そんな印象があるのだけれど... 意外にも、それは、第1次大戦終結以前の、19世紀とその残り香の中で育まれたもの。ということになる。今、改めて、没後100年という距離感を以って注目するスクリャービン像というのは、スクリャービンの先駆性を再認識するものとなるのかもしれない。
という、スクリャービンの音楽を、近現代音楽の巨匠による演奏で見つめ直すと、どうなるか?ピエール・ブーレーズの指揮、シカゴ交響楽団の演奏で、スクリャービンの代表作、「法悦の詩」、「プロメテウス」(Deutsche Grammophon/459 647-2)を聴く。

久々に聴く、ブーレーズのスクリャービン。けれど、何だか調子が狂う。ブーレーズなればこそのイメージに流されない音楽作りが、スクリャービンの最も豊潤な部分をすっかり洗い流してしまったようで... となると、後に残るものは?そんな姿を晒されたスクリャービンに面喰ってしまう。そもそも、スクリャービンをブーレーズで聴こうというのが間違っている?総音列音楽の権化、数学者でもあるブーレーズに対して、神秘主義に心酔し、オカルティズムを音楽に籠めたスクリャービン... リアリストがスピリチュアルな音楽を捌いてしまったら、身も蓋も無い... しかし、そうなって見えて来るものがあるから、実はおもしろい。作品が持つ背景など、まったく意に返さず、ただひたすらにスコアだけを見つめて生まれるスクリャービンの音楽は、意外と保守的?これまで感じて来た先駆性よりも、音楽史が連綿と綴って来た伝統を感じ、その上で展開される同時代性というのか... フランスの印象主義を思わせる瑞々しさ、色彩感を帯びて、ふと気が付くと、妙に新鮮な印象を受けている。希有な個性よりも、スクリャービンという存在を育んだ時代が活き活きと浮かび上がる、ブーレーズのスクリャービン!
そうした中で、特に新鮮だったのが、「プロメテウス」(track.5)。1910年に作曲され、1915年にモスクワで初演されたこの作品は、スクリャービンの最後の交響曲にして、スクリャービンという個性を象徴するような作品。交響曲とはいえ、独奏ピアノが活躍し、ほとんどコンチェルトと言っても差し支えなく、最後はコーラスのヴォカリーズが加わり、オルガンも鳴り響き、伝統的な交響曲の枠組みには、納まらない。で、当然、そこには、神秘主義が横溢し... 音を放つのではない光を放つ楽器、色光オルガンを用い(初演では、あえなく故障... 現在も色光オルガンないし、その代替となる照明を用いることは稀... )、視覚にも訴える効果を盛り込み、サイケデリック!まさに、スクリャービンという芸術家の集大成的な性格を担った作品と言える。が、そんな作品も、ブーレーズの手に掛かれば、まったく違う姿を見せ... それはまるで、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲や、『ダフニスとクロエ』のようであり、ドビュッシーの「海」のようであり、思いの外、フランス、印象主義!オカルティズムのダークさを振り払えば、鮮やかで瑞々しい音が次々に流れ出し、驚かされる。スクリャービンという希有な個性を外して広がる、スクリャービンが生きた時代のパノラマの興味深さ!この感覚は、ピリオドのマエストロたちが見せてくれる風景に似ているのか... ピリオド楽器は用いずとも、ブーレーズもまた、オリジナル主義と言えるのかもしれない。
さて、「プロメテウス」で独奏ピアノを弾くのが、ウゴルスキ... で、ウゴルスキの存在がよりフィーチャーされるのが、「法悦の詩」(track.1)と「プロメテウス」(track.5)の間に挿まれた、スクリャービンのピアノ協奏曲(track.2-4)。神秘主義に心酔する前、ピアノのヴィルトゥオーゾを目指していた頃、1896年から翌年に掛けて作曲された作品は、「法悦の詩」、「プロメテウス」からすると、同じ作曲家の作品とは思えない、夢見るようにロマンティックな、典型的、19世紀のコンチェルト。で、こうなってしまうと、さすがのブーレーズも手の出しようがないのか、伴奏に徹していて... それが、かえってウゴルスキのピアノを際立たせ... 何より、粒立ちよくも、一音一音から詩情がこぼれ出すウゴルスキのタッチ!夢見るようでありながらも、夢に溺れない、絶妙の程好さを保って繰り広げられるすばらしい演奏に惹き込まれずにいられない。もちろん、「プロメテウス」でも!
そして、ブーレーズの指揮、シカゴ響の演奏なのだけれど... 徹底してマイ・ペースを貫くブーレーズのブレない姿勢には感服させられる。いや、ブーレーズの指揮ぶりを改めて見つめれば、結局、スコアが全てなのだなということを思い知らされもする。スコアに取り憑かれているようでいて、だからこそステレオイプから解き放たれるというおもしろさ。また、シカゴ響の機能性の高さと、そこから生まれる輝かしいサウンドが、ブーレーズの指向に色彩を加えるようなところがあって、ケミストリーがあるのかもしれない。ブーレーズの冷徹さの一方で、シカゴ響の輝かしさが、スクリャービンの籠めたオカルティズムを浄霊するのか?このアルバムで繰り広げられるスクリャービンというのは、スクリャービン作品を、今一度、音楽に戻す試みのように思えて来る。で、音楽として聴くスクリャービンには、不思議な爽快感があって、新鮮。

SCRIABIN: PIANO CONCERTO OP.20/LE POÈME DE L'EXTASE/PROMÉTHÉE
UGORSKI/CHICAGO SYMPHONY ORCHESTRA/BOULEZ


スクリャービン : 交響曲 第4番 Op.54 「法悦の詩」
スクリャービン : ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 Op.20 *
スクリャービン : 交響曲 第5番 Op.60 「プロメテウス」 **

アナトール・ウゴルスキ(ピアノ) *
ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団
シカゴ交響合唱団 *

Deutsche Grammophon/459 647-2




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