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20世紀、哀歌、マーラーの厭世から、ショスタコーヴィチの寂寥へ... [2007]

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何かこう、気詰まりなことばかりで、ぐったりさせられる日本であり、世界であり... 一体、どうなってしまったんだろう?なんて、ここ最近、ニュースを見ながら、つくづく思う。いや、こんな状態が、もうずっと続いているのだよね... それはまるで先が見えないトンネルを歩かされているような状況で... 先へと進めばきっと出口があるだろうと思って、薄暗い中を進むのだけれど、穴はどんどん狭まり、気が付けばぎゅうぎゅうになっていて、そのストレスのせいか、あちこちで癇癪が引き起こされる。その癇癪が、また新たな癇癪の引き金になって、その騒々しさに、みんな窒息しそうになっている。今、最も必要とされているのは冷静さ、捉われないこと、多角的に物事を見つめる力、何より度量なのだと思うのだけれど、それらが、何とも贅沢に感じられるほど、我々の世の中は汲々としている。で、いつからこんな風になってしまったのだろうと考えるのだけれど、歴史を振り返ると、いつもそんな感じだったと言えるのかもしれない。マーラーの厭世的なあたり、ショスタコーヴィチのアイロニーは、汲々とした中を生きてこそ響いた音楽。だからこそ、時を経て、共感できるのだろうなと... ふと、そんなことを考える。
ということで、ギドン・クレーメル率いるクレメラータ・バルティカの演奏で、弦楽オーケストラ用にアレンジされた、マーラーの交響曲、10番のアダージョと、そのマーラーの影響も指摘される、ショスタコーヴィチの14番の交響曲(ECM NEW SERIES/4766177)を聴く。

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