So-net無料ブログ作成

20世紀、哀歌、マーラーの厭世から、ショスタコーヴィチの寂寥へ... [2007]

4766177.jpg
何かこう、気詰まりなことばかりで、ぐったりさせられる日本であり、世界であり... 一体、どうなってしまったんだろう?なんて、ここ最近、ニュースを見ながら、つくづく思う。いや、こんな状態が、もうずっと続いているのだよね... それはまるで先が見えないトンネルを歩かされているような状況で... 先へと進めばきっと出口があるだろうと思って、薄暗い中を進むのだけれど、穴はどんどん狭まり、気が付けばぎゅうぎゅうになっていて、そのストレスのせいか、あちこちで癇癪が引き起こされる。その癇癪が、また新たな癇癪の引き金になって、その騒々しさに、みんな窒息しそうになっている。今、最も必要とされているのは冷静さ、捉われないこと、多角的に物事を見つめる力、何より度量なのだと思うのだけれど、それらが、何とも贅沢に感じられるほど、我々の世の中は汲々としている。で、いつからこんな風になってしまったのだろうと考えるのだけれど、歴史を振り返ると、いつもそんな感じだったと言えるのかもしれない。マーラーの厭世的なあたり、ショスタコーヴィチのアイロニーは、汲々とした中を生きてこそ響いた音楽。だからこそ、時を経て、共感できるのだろうなと... ふと、そんなことを考える。
ということで、ギドン・クレーメル率いるクレメラータ・バルティカの演奏で、弦楽オーケストラ用にアレンジされた、マーラーの交響曲、10番のアダージョと、そのマーラーの影響も指摘される、ショスタコーヴィチの14番の交響曲(ECM NEW SERIES/4766177)を聴く。

まず、興味を引くのが、弦楽オーケストラ用にアレンジされた、マーラーの最後の交響曲、未完の10番(1911)から、アダージョ... 普段なら、マーラーの遺したスケッチを、如何に肉付けして、完成させるかに注目が集まるところだけれど、クレーメル+クレメラータ・バルティカは、引き算で挑むから、おもしろい。作曲家の手によって完成されていた、1楽章、アダージョの、マーラー芸術の到達点とも言える壮大にして極彩色なオーケストレーションを、弦楽のみで表現するという大胆さ!冒頭の、魂が彷徨い出すような、厭世的な表情を見せるメロディーを、ヴィオラのソロで始め、ヴァイオリンのソロが歌い継ぎ、室内楽的に展開し、やがて弦楽オーケストラが動き出す。どこか合奏協奏曲のような形も見せるクレメラータ・バルティカ版、マーラーの10番、アダージョ... コンチェルティーノ(ソリストたち)と、リピエーノ(オーケストラ)のコントラストを巧みに活かし、刈り込まれたサウンドを、また拡張するようで、オリジナルとは違うベクトルで広がりを生み出す。すると、音楽がより克明に切り出されるようで、これまでになく分かり易い印象も... 一方で、近代音楽が勃興する中での、マーラー晩年のエキセントリックさが際立つところもあり、オリジナル以上に刺激的なドラマを体験できるようでもある。それはまた、映画音楽的でもあり... 冒頭に登場する、あの印象的なテーマも、よりキャッチーに感じられ、不思議な気安さがあり、新鮮。
そんな、マーラーに導かれるように始まる、ショスタコーヴィチの14番の交響曲(track.2-12)。ソプラノとバスが歌う異色の交響曲は、マーラーの『大地の歌』(1908)からの影響を窺わせる。が、そこはショスタコーヴィチ、聴き手をマーラーのような豊潤なサウンドで酔わすようなことはしない... ひとつ前の交響曲、13番、「バビ・ヤール」(1962)と同じ、歌付き交響曲の路線を行きながらも、合唱まで動員した「バビ・ヤール」の大規模から一転、弦楽オーケストラの室内楽的な響きに、多彩なパーカッションによる独特なスパイスを効かせ、締まった音楽を繰り出す14番(1969)。歌う内容も、風刺を利かせた「バビ・ヤール」に対し、死が忍び寄る、冷えた情景を描き出し、その世界観は、より鍛えられ、鋭く硬く存在感を際立たせる。スターリンはとうに世を去り、キューバ危機(1962)の後、東西冷戦の雪どけがあって、ソヴィエトにおける創作環境も改善の兆しを見せたが、その雪どけが世界におけるソヴィエトの存在感を低下させ、プラハの春(1968)などの民主化運動を引き起こす。当然、それらを許す度量などないソヴィエトは、東側世界に反動と停滞を押し付けることに... その閉塞感へのキリキリとした感情が、この14番で歌われるのか?社会主義リアリズムという検閲下、ギリギリの創作に挑むショスタコーヴィチの音楽の切っ先の鋭さは、やっぱりただならない。そうして、かつての時代が圧し掛かって来る。
しかし、マーラーからショスタコーヴィチへの影響を念頭に、マーラーの遣る瀬無さと、ショスタコーヴィチの遣る瀬無さを対照的に並べてしまうセンス!弦楽オーケストラという共通規格を以って、マーラーからショスタコーヴィチへ、直通乗り入れを挑んでしまう力技(マーラーの10番、アダージョのアレンジ... )!クレーメルには脱帽するしかない。マーラーの厭世感を入口に、キリキリするほど冷え込んだショスタコーヴィチを聴かせるとは... それをまた際立たせる、クレメラータ・バルティカの清冽なサウンド!北欧らしい澄み切ったトーンと、バルトならではの仄暗さを湛えながら、出口を見出せない20世紀のトンネルを見事に音楽として描き出す。そして、ショスタコーヴィチ(track.2-12)で歌う、コルパチェヴァ(ソプラノ)、クズネツォフ(バス)の、狂気を孕むような表情!マーラーの甘やかな厭世を、ジリジリと凍らせて行くようなその歌声は、聴く者に突き刺さるようで、インパクトがある。で、何とも言えない心地になる。その緊張を強いられる冷たさに耳を背けたくなるのだけれど、聴かずにいられないような、薄気味悪い引力を感じる歌声であり演奏... それは、死神に魅入られるような感覚だろうか?いや、まさに今の時代の気分に響いて、揺さぶられる。

GUSTAV MAHLER / DIMITRI SHOSTAKOVICH
GIDON KREMER, KREMERATA BALTICA


マーラー : 交響曲 第10番 アダージョ 〔編曲 : シュタードルマイアー/クレメラータ・バルティカ〕
マーラー : 交響曲 第14番 Op.135 **

ギドン・クレーメル/クレメラータ・バルティカ
ユリア・コルパチェヴァ(ソプラノ) *
フョードル・クズネツォフ(バス) *

ECM NEW SERIES/4766177




nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0