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エステルハーザを去って、ハイドン... そして、巨匠の帰還。 [before 2005]

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いつの時代も、政権交代による新たな人事は荒れます。音楽史においてもそう... いや、音楽こそ政権交代に揺さぶられる。例えば、1790年、神聖ローマ皇帝、ヨーゼフ2世(在位 : 1765-90)が世を去ると、1780年代、ウィーンのオペラ・シーンを大いに盛り上げた功労者たち、ダ・ポンテ、サリエリ、モーツァルトらは、新しい皇帝に冷遇され、新たに迎えられた台本作家、作曲家たちに取って代わられる。奇しくも同じ年、ウィーンから程近い、ハンガリー、エステルハーザでも代替わり。新しいエステルハージ侯爵は、召抱えていた音楽家のほとんどを解雇。その楽長であるハイドンは、当然、する仕事が無くなり、長年、仕えた、エステルハーザを去ることに... が、ハイドンにとっては、実質上のフリーの立場を手に入れたこととなり、それまで不可能だった海外ツアーに出て、大成功!ウィーンに大邸宅を構え、ヨーロッパ随一の巨匠として存在感を示す。そうした中、エステルハージ侯爵家では、早くも代替わり。新しい侯爵は、先々代、祖父譲りの音楽好きで、楽長、ハイドンの音楽は、再び、エステルハーザから求められることになる。ということで、楽長としての仕事に復帰したハイドンを見つめる。
ジョン・エリオット・ガーディナー率いるイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏、モンテヴェルディ合唱団、ジョアン・ラン(ソプラノ)、サラ・ミンガルド(メッゾ・ソプラノ)、トピ・レティプー(テノール)、ブリンドレイ・シェラット(バス)らの歌で、1796年、エステルハージ侯爵家のために作曲された、オフィダの聖ベルナルドの賛美のミサと、戦時のミサ(PHILIPS/470 819-2)を聴く。

ハイドンが仕えたエステルハージ侯爵家は、初代侯爵、パウル1世(1635-1713)が、チェンバロを弾き、作曲もしたという逸材で、以後、音楽への関心は、代々受け継がれて行く。そして、29歳の若きハイドンを発掘したのが、初代侯爵の孫にあたる、第4代侯爵、パウル2世(1711-62)。1761年、ハイドンは、エステルハージ侯爵家の副楽長となる。が、パウル2世は、翌年に亡くなってしまい、その弟、第5代侯爵、ニコラウス1世(1714-90)が跡を継ぐことに... そこから始まる、いとも華麗なるエステルハーザの時代!ニコラウス1世は、豪奢候とも呼ばれ、ハンガリーのヴェルサイユとも謳われる大邸宅、エステルハーザを建設。ハイドンは、その楽長として存分に腕を振るった。が、やがて時は過ぎ、1790年、ニコラウス1世が世を去ると、音楽に関心の無い、第6代侯爵、アントン(1738-94)が跡を継ぎ、全てが揃っていたエステルハーザの音楽は、大規模なリストラに遭い、失われてしまう。で、ハイドンは、楽長のポストを維持されたまま、年金の支給を受け、58歳にして引退...
いやいやいや、すでに国際的な名声を確立していたハイドンの元にはには、様々なオファーが舞い込み、引く手数多!そうした中、ハイドンが応えたのは、ロンドンの興行師、ザロモンからのオファー!そうして作曲されたのが"交響曲の父"の集大成、ロンドン・セット。この古典派交響曲の傑作を生み出したロンドン・ツアー(1791-92, 94-95)は大成功し、押しも押されもせぬ大巨匠となったハイドン... その頃、エステルハージ侯爵家は再びの代替わり。1794年、祖父譲りの音楽好き、ニコラウス2世(1765-1833)が、第7代侯爵となると、ハイドンは楽長としてエステルハーザに復帰するよう求められる。が、その立場は、以前と大きく変わる。今や帝国の首都、ウィーンに大邸宅を構えるまでになったハイドンは、もはやエステルハーザに詰めることはなく、侯爵の求めに応じて作曲を請け負うようになる。そうして請け負ったのが、侯爵夫人の命名日(9月12日)の祝祭で歌われるミサ曲。1796年から1802年までの6年間に6つのミサ曲を作曲。で、ここで聴くのは、その最初の2曲、1796年に作曲されたオフィダの聖ベルナルドの賛美のミサ(track.1-11)と、戦時のミサ(track.12-22)。
まずは、作曲された年の9月、侯爵夫人の命名日の前日に歌われたオフィダの聖ベルナルドの賛美のミサ(track.1-11)。ロンドンから帰国した翌年の作品は、自信に充ち、創意にも溢れ、聴き入るばかり... 古典主義の端正さ、宗教音楽ならではの古風さ、対位法が生む荘重さがありながら、ハンガリーの牧歌的な風景も感じさせ、当時、オーストリアでお馴染みのメロディーを引用したりとキャッチーなところもあり、思いの外、盛りだくさん。改めて聴いてみると、その表情の豊かさに魅了されてしまう。何より、その総合力に、18世紀の教会音楽のひとつの到達点を見出せる気さえする。そもそも、古巣のための機会音楽に過ぎないはずが、それまで蓄積して来たあらゆるものを総動員して、充実した音楽を紡ぎ出すハイドン。そこには、一度は追い出された古巣に対する、今や大巨匠となってのドヤ感のようなものが薄っすらと漂うようで、ちょっと微笑ましくもある。
一方で、2曲目、戦時のミサ(track.12-22)は、タイトルのせいか、少し雰囲気を異にし... この作品が作曲された1796年は、フランス革命戦争(1792-1802)の只中にあり、オーストリア軍は各地でフランス軍に対し劣勢に立たされていた。そういう空気感をすくい上げる、戦時のミサには、不安を抱くウィーンの人々に寄り添うようなやさしさがあり、戦場で命を落とした兵士たちを悼むような沈痛さがあり、また人々を元気付けるようでもあり、人間味に溢れる音楽が印象深い。特に、最後、アニュス・デイ(track.21)から、ドナ・ノービス・パーチェム(track.22)への、不安から希望へとティンパニとトランペットに鼓舞されて力強く歌われるドラマティックさは感動的。そんな戦時のミサは、作曲の翌年、1797年の侯爵夫人の命名日のために用意されていたミサ曲だったが、その前にウィーンの人々を勇気付けるため、ウィーンのピアリステン教会で歌われている。
さて、この2つのミサ曲、ガーディナーの指揮で聴くのだけれど... このマエストロならではの精緻さが、ハイドンの音楽の秀逸さを見事に響かせる!典礼音楽でありながら、まるで交響曲のように見事な音楽を構築するハイドン。その全ての音を確固たるものとして捉えるガーディナー。時を隔てて、2人の感性が鮮やかに共鳴すると、機会音楽のはずが、教会音楽の結晶のように輝き出す。そのベースとなるのが、モンテヴェルディ合唱団の明晰なコーラス!その澄んだハーモニーは圧倒的で、この上なく軽快... その軽やかさが、活き活きと表情を紡ぎ出し、洗練を以って確かなドラマティシズムを展開する。そこにソリストたちの美しい歌声が加わって、ウィーン古典派ならではの愉悦が浮かび、そうした歌声を支えるイングリッシュ・バロック・ソロイスツの鋭敏でパワフルな演奏が、ハイドンをドラマティックに盛り上げる。

HAYDN: HEILIGMESSE ・ MISSA IN TEMPORE BELLI, etc.
MONTEVERDI CHOIR ・ EBS ・ GARDINER


ハイドン : オフィダの聖ベルナルドの賛美のミサ XXII:10 (ハイリヒ・ミサ)
ハイドン : 戦時のミサ XXII:9 (太鼓ミサ)
ハイドン : モテット 「度の過ぎたる空しき苦悩が」

ジョアン・ラン(ソプラノ)
サラ・ミンガルド(メッゾ・ソプラノ)
トピ・レティプー(テノール)
ブリンドレイ・シェラット(バス)
モンテヴェルディ合唱団
ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

PHILIPS/470 819-2




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