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1770年代、交響曲諸相、世代間の風景... [before 2005]

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古典派というと、ハイドンにモーツァルトというイメージがしっかりとある。けれど、ハイドンとモーツァルトだけで古典派を語ってしまうのは、あまりに無謀... 個性が犇めく19世紀には及ばずとも、より豊かな才能に恵まれた18世紀。どこを切っても同じような音楽が聴こえて来る?そんな金太郎飴のようなイメージは、鉄板の二枚看板に頼り過ぎるからかもしれない。丁寧に見つめれば見つめるほど、多様な世界が広がるのが18世紀であり、古典主義の時代。さらには、19世紀まで生きたハイドンならなおのこと、35年という短い人生を生きたモーツァルトですら、年代によって作風は変わり、古典主義自体もまた変遷する。そこで、1770年代、1780年代と、その変遷を辿ってみようかなと... まずは、1770年代のハイドンとモーツァルトに注目してみる。
鈴木秀美率いる、オーケストラ・リベラ・クラシカの演奏で、ハイドンの43番の交響曲と、モーツァルトの29番の交響曲に、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの1773年に作曲されたシンフォニアも加えた興味深い1枚(Arte dell'arco/TDK-AD001)を聴く。

1770年、14歳のモーツァルト(1756-91)は、ナポリ楽派に引けを取らない堂々たるオペラ・セリア、『ポントの王、ミトリダーテ』をミラノのテアトロ・レージョ・ドゥカーレ(スカラ座の前身... )で上演し、大成功!1770年代前半は、ザルツブルクを拠点に国際的な作曲家として歩み出していた。ハイドン(1732-1809)は1766年にエステルハージ侯爵家の楽長に昇格し、30代、精力的にその仕事をこなし、侯爵がはまっていた交響曲をガンガン量産... で、ちょうどその頃が、ハイドンの疾風怒濤期(1766-1773)。古典美を謳う古典主義が主流となる中、バロックを思わせる激情がリヴァイヴァル。それはまた、プレ・ロマン主義とも言える雰囲気を醸していて、古典主義が満開となる前夜、18世紀後半の音楽シーンに、絶妙なスパイスとなっている。そうした19世紀の萌芽が現れた頃、まだまだ健在だったのが、多感主義の巨匠、バッハ家の次男、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)。長年、フリードリヒ大王の宮廷に仕えて来たカール・フィリップ・エマヌエルだったが、大王の趣味に取り憑かれたベルリンの宮廷に閉塞感を覚え、1768年、54歳にして、大王の下を飛び出し、都市国家、ハンブルクの音楽監督に就任。1770年代こそ、カール・フィリップ・エマヌエルらしさが解き放たれた時代だったと言える。
という、3人の作曲家による1770年代の交響曲を取り上げる、鈴木秀美+オーケストラ・リベラ・クラシカ... 改めて聴いてみると、とてつもなく興味深い!1772年までに完成されたと考えられるハイドンの43番(track.4-7)、1773年に作曲されたカール・フィリップ・エマヌエルのシンフォニア(track.1-3)、そして、1774年に作曲されたモーツァルトの29番(track.8-11)... 時間的に近接した3作品を並べるわけだけれど、取り上げる作曲家たちの世代は絶妙にばらけていて、バロックの息子世代、カール・フィリップ・エマヌエルに始まり、古典主義とともに成長したハイドンが続き、古典主義の申し子とも言えるモーツァルトが最後に続く... だからか、本当に同時代の音楽なのだろうか?というくらいに、作風に幅が感じられて、驚かされる。始まりの、カール・フィリップ・エマヌエルのシンフォニア(track.1-3)は、まさしく多感主義!ちょっと唐突に、力強く、ドラマティックに始まって、聴き手を振り回すような1楽章は、かなりのインパクトを放つ。が、いつの間にか、どっぷりセンチメンタルに浸かった2楽章(track.2)となっていて、メランコリック。かと思うと、軽やかな終楽章(track.3)が続いて、多感主義らしくジェット・コースターな音楽を展開。その後で響き出す、ハイドンの43番の味わい深い1楽章(track.4)の序奏に触れると、カール・フィリップ・エマヌエルの音楽が随分と尖がっていたことに気付かされる。現代からすると、その尖がり様は斬新に聴こえるのだけれど、これは明らかにバロックの残像... ハイドンの新しさを思い知らされる。
が、モーツァルトの29番の1楽章(track.8)の、得も言えぬキャッチーなメロディーが流れ出すと、衝撃的なくらいに新しさを感じてしまう!いや、ため息が漏れてしまうほど、その流麗さに惹き込まれてしまう。もはや音楽を聴くというより、春のそよ風に吹かれるような感覚... 何て心地良いのだろう... で、その心地良さがどうやって生み出されているのか?構造のシンプルさ... そんなモーツァルトからハイドンを振り返ると、"交響曲の父"らしく、その音楽はしっかりと構築され、中身が詰まって、厳めしいくらい。いや、そういうハイドンの姿勢に立ち返ると、モーツァルトは若いなと... その若者感覚が新しさにつながっているのだなと... という風に、1770年代前半を俯瞰してみると、まったく以っておもしろい!カール・フィリップ・エマヌエルは、今なおロックな親父で、モーツァルトは、軽い若者文化の象徴で、その間をつなぐハイドンは、仕事のできるサラリーマン?なんて言ったら叱られそうだけれど、この3人の間には、現代にもありそうな世代間の風景が浮かび上がるようで、おもしろい。
という、興味深い1枚を聴かせてくれた、鈴木秀美+オーケストラ・リベラ・クラシカ... 彼らのデビュー・コンサートのライヴ盤ということで、端々から初々しさが感じられ、いつも聴くピリオド・オーケストラの演奏とは一味違うのかも... デビューに向けて、良い準備が重ねられて来たことを感じさせる、息の合ったアンサンブルが素敵で、そのアンサンブルが程好い温度感を生み出し、気の置けない気分で聴く者をも包む。この擦れていないピュアな空気感は、何とも言えない心地良さを生む。一方、最初の一歩への慎重さというのか、この興味深いプログラムを、しっかりと準備して来たのがわかる、丁寧な演奏っぷりも印象的で... まるで、3作品、それぞれの音楽の構造を、解体して見せてしまうような丁寧さ... それくらいだからこそ、三者三様の音楽は際立ち、本当に同時代の音楽なのか?と、驚きはより大きくなる。鈴木秀美+オーケストラ・リベラ・クラシカの、丁寧かつ、ピュアな姿勢が、1770年代前半の音楽を、より刺激的に響かせる。

鈴木秀美 指揮/オーケストラ・リベラ・クラシカ
C・P・E・バッハ : 弦楽のためのシンフォニア ハ長調/ハイドン : 交響曲 第43番 「マーキュリー」/モーツァルト : 交響曲 第29番

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 弦楽器のためのシンフォニア ハ長調 Wq.182-3
ハイドン : 交響曲 第43番 変ホ長調 Hob.I-43 「マーキュリー」
モーツァルト : 交響曲 第29番 イ長調 K.201(186a)
ファン・マルデレ : シンフォニア Op.5 より 6番 ニ長調 から 1楽章

鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカ

Arte dell'arco/TDK-AD001

モーツァルト、悪戦苦闘の1770年代から、輝かしき1780年代へ...
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